​物作りの日々。と言葉

メンテナンス



作品をメンテナンスしてます。




多くの人に観てもらうのは本当に有り難い事なのですが、一年間ライトに当たりっぱなしなのは漆には過酷なのが手元に戻るとよくわかります。



竹目がかなり痩せてます。

布目もちょっと…。爆



やはり塗り直しをしてお渡ししたいところでした。


千年保つって改めてものすごい事なんだな

と思いました。




久しぶりに作品に会えるのは嬉しい。


そして大切にして下さる方の元へ届けるのが願いです。





挟んでいる和紙のシワも水をつけてやるとピンと張ってきれいに戻ります。



✴︎



発表の場について思った事と同時に言葉についても同じだと感じました。



トランプ元大統領でさえTwitterから消されてしまう昨今、言論は自由なはずなんだけどTwitterにも都合はあるのでしょう。


なんてったってプラットフォームはTwitter社のものなのだから。




SNSのような出来上がった土俵を使わせて貰うメリットは計り知れないが、肝心な時に取り上げられてしまう可能もあります。



YouTubeでも登録者数が百万人超えていてもバンされ、再登録不可能なんて事になってしまえば一瞬で積み上げてきたものが無になってしまう。



まるで手のひらの上なのですよね。



モラルは当然考慮するとして、攻めた内容を世の中に発信していきたい場合は多少金額を払ってでも原始的にサーバーから自分で場を作った方がいい、であろうと思いました。



それがどんなに拙い見た目のものでも本質がしっかりしていれば注目を集める事は可能だと思います。







ゼロをイチにする労力は膨大でありますが、おそらく手に入れる自由度に代わるものはないです。



そしてそれが成功すれば二番手三番手はでてくるでしょうが、注がれたエネルギー量が圧倒的に違うので別物です。



漫画で言えば同人誌などは二次創作なのですが、それがいくら売れても絵が上手くてもとうていオリジナルにはかないません。



器用な人、絵の上手い人、感性の鋭い人は大勢います。



それにプラスして精神を育てていくと、自分なりにたどり着いた人生観、本質を美しい形で世の中に提供できるのではないかなと思います。