​物作りの日々。と言葉

それでも生きていきたい。








ストレスが溜まってるのか、ネットでの誹謗中傷が目につく昨今ついに亡くなる方がでてしまいました。



こうした形で若い命が奪われるのはあまりにもむごいけど、人知れず実は結構あるのかもしれませんね。




有名税、スルースキルでは太刀打ちできない数で攻撃される時代、声を上げていく勇気も必要なのだと感じました。



私も毎回展示に来ては偉そうに説教してくるキモいオヤジに我慢させられるんだけどほんと逃げたくなるし、そいつのおかげで良い事も全部吹っ飛ぶくらい不快になってしまう。

まあギャグなレベルだけど。笑


悔しい事に1のネガティブって9のポジティブを凌駕していく破壊力があるんだよね。


黒い墨を一滴落としただけでも水は濁りますよね。




身近なところでもここ立て続けに自分の好きなクリエイターの方が誹謗中傷により傷つき泣いているのを見たという事もあり、今回「我慢が美徳」という言葉を捨てる事を誓おうと思った。



 





長くなるけど語ります。

それからあくまで私はただの漆芸家なので、自分の経験からの話である事をご理解いただきたくよろしくお願いします。








まず「もう叩くのやめよう」という前に。


「なぜ人は叩くのか」を知る必要があるかと思いました。





アンチの心理や仕組みを理解すると幾分かマシにはなるけど、マシなだけで傷つかないわけじゃないです。


帝王学って言うのかな…世の中で自分の力を試していくためにはそれなりに心得が必要なんだって思いました。




例えば政治家なんかが何言われてもへっちゃらに見えるのはこういう学校では絶対に教えてもらえない教育を受けているからなんだと思います。




心理学の本を読んだ時に世界の99パーセント以上の人が常識や世間体にしばられ自分の本音を忘れて生涯を終えていくのだと書いてあってなんかすごく悲しくなったのを覚えています。



ちなみに日本の1%は100万人なんで会おうと思えば会えないレベルじゃない。





人が絶対的に必要な事は外側の世界を見る事ではなく動きまわる事でもなく自分自身の内観だと思います。



多分これでありとあらゆる問題は解決していく。




私が創作活動という名の引きこもり生活をしながらここ数年で集めてきた内面に関する言葉たちです。




※※※※




「他人を認められないのは自分と向き合っていないから。」




「止まれない人は間違いなく何かから逃げている。」




「優越感と劣等感はコインの表と裏であり、優越感もまた惨めな代物だという事。

そのコインを捨てる努力をする。」





「自分の葛藤を他人を傷つけて癒そうとする人も少なくありません。」





「腹をくくるとは、他人ではなく自分にしがみつくという事」





「自分の人生のテーマに向き合わなかった人間はどんなに金を持っていようが地位や名声があろうが人生の敗北者である」





「自立とは経済的にひとり立ちする事ではなく、自分の葛藤を克服する事」





「我慢を強いられ本音を言えない欲求不満はものすごい怒りになる」




「苦しみの核心を解かないと解決はできない。」




「寂しさの正体は性欲と暇」




「共依存」





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これらのほぼすべてが自分に当てはまるものでしたし、そのほとんどが自分の人生の主導権を握れていないという事を言っているのだと思います。




それも当たり前で、運動会や偏差値教育、テストなど競争させられることで優越感、劣等感を植え付ける教育をこんこんと受けてきたからです。



またその後社会に出てからは、男性は競争、女性は協調を強いられてきました。



私はどちらも嫌でしたよ。



男にも女にも寄れない自分ってつくづく社会不適合者なんだなって思いました。(別にいいけど)





自分と向き合う事を歳だからと諦めるのも、思い立つ時が適齢期と踏み出すのも両方等しく尊い人生ですが、ゆっくり丁寧に紐解いていく先には清々しいものが必ず待っているでしょう。





ちなみに他人軸で生きるメリットももちろんあるだろうと思います。



それは大きな責任や重圧を負わずある意味守ってもらいながら生きられるし、一旦自分を更地にするという苦しい通過儀礼を経験しなくてもよいという事です。


安心安全な生き方を提供してくれている国の親切でもあるのです。



そしてコロナや震災で浮き彫りになる日本人の忍耐力や礼儀正しさは教育の賜物でもあります。

人としての理性を育ててくれたという事になるでしょう。








人は何故内観が苦手なのでしょうか。


それは身の周りにある娯楽の圧倒的多さだと思います。

テレビ、スマホ、パソコン。 


あとは孤独になるのが怖かったり、自分のパンドラの箱と向き合うのが面倒くさいだったり





私は自分の意図とは関係なく強制的に更地になってしまったので、それなりに辛い時期を過ごしましたが、やはりはたしてそこに自ら飛び込んでいけるのかな…とも思います。



だけれども思い起こせば私には、こんな人生はもう嫌だ…と心底思った瞬間をハッキリとした場所、景色で思い出せます。



その後環境、事態がみるみる動いていたのを後から気づきました。


腹をくくったという事かもしれません。




自分軸で生き始めると自分だけが経験してきたオリジナルの世界観を見せ合う、競争ではない分かち合いという優しい世界が作り出せるのではないでしょうか。。。



カッコ悪くても生々しく克服へ向かう生き様が結局は誰か同じ試練を抱える人の希望になり、それが仕事や使命の本質であると私は思っています



そのためにできるのはただただ自分の本分を全うするという事。




他人は変える事はできないけど、きっかけをつくる事は出来ると思います。


私はそういう人に何人か出会ってきたから。

自分で会いに行ったか、会わされたか…運命とは不思議なものだとつくづく感じます。






最後にですね、自己実現とは創作活動とか何かに没頭している状態をさすのではなく、ありのままの自分や本音をさらけだせる事を言うのだと思うんです。



子どもは素直に自分を表現できていますよね。

だから生まれたてはみんな自己実現できているんですよ。




だけれどもいつのまにか我慢の塗り重ねが始まります。


そう、我慢の漆塗りです。


日本産我慢の堆漆です。




残念ながら我慢の先にはまた我慢しかなかった。


そしてそれが積もると自分でも気付かない怒りになり、自分に向けば自傷行為や鬱病になるし、他人に向けば暴力行為になります。


だからせめて発散させるのは、芸かスポーツか何か他のものを見つけてみてほしい。


そしてその行為自体が自己実現ではない事を理解しておきたい。






何ものにも縛られない子どものような心と理性ある行動をとれる人が本物の大人だと思います。



本心を取り戻すには、まずは今まで外側から植え付けられてきた価値観をぶっ壊さなければいけません。



手間も時間も勇気もいりますが、自分との対話が始まると不思議と得体のしれない虚しさ、やるせなさが消えていきます。





どうしたの?

どうしたいの?


「××××…」


そうだよね。

わかるよ。





こういう会話を自分自身に根気強く投げかけてみて欲しいです。



ようするに誰にもしてもらえなかったであろう、ありのままの自分の感情を自分だけは全肯定してあげてほしいって事です。








2017 © Natsuko Kamigaki